安倍首相が総理大臣の辞任を表明したため、全国では「ポスト安倍政権」を握るのは誰か、という予想が話題となっていますね!
そんな中、次期総裁選に出馬する意向を固めた菅義偉官房長官の経歴が凄い!と話題になっているので、今回は菅官房長官の経歴が凄い理由や、現在までの経歴や生い立ちをわかりやすくまとめてみました。
本記事では
- 菅さんの経歴が凄いワケ
- 菅官房長官の生い立ち
- 現在までの経歴
についてまとめています。
では早速みていきましょう!
菅さんの経歴はなぜ凄いのか?

菅さんの経歴が凄い理由の1つに「努力で政界を駆け上がった」ことが挙げられます。
菅さんは元々いちご農家育ちで、政界とは無縁の少年時代を過ごしていました。大学入学前はダンボール工場でお金を貯め、一番学費が安い法政大学に入学しました。
しかし大学卒業後に政治家を志し、約11年という下積み時代を経て、政界を駆け上がっていきます。この政界とは無縁の状況から努力で信頼や人脈を勝ち取り、立派に政治家として活躍している経歴が「凄い」とネット上などでささやかれているのです。
では具体的に菅さんのプロフィールや経歴についてみていきましょう!
菅官房長官のプロフィール

菅義偉(すが よしひで)のプロフィール
- 生年月日:1948年12月6日(71歳)
- 出身:秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現 湯沢市秋ノ宮)
- 小学校:雄勝町立秋ノ宮小学校(現 湯沢市立雄勝小学校)
- 中学校:雄勝町立秋ノ宮中学校(現 湯沢市立雄勝中学校)
- 高校:秋田県立湯沢高等学校
- 大学:法政大学(第二部法学部政治学科)
- あだ名:ガースー
実家はいちご農家!ブランド化にも成功!

兄弟は姉2人、弟1人の4人兄弟で、菅さんは一家の長男として生まれました。父親の和三郎さんは元々秋田の地元で農耕作業に従事していましたが、米のみでは生活が苦しいと考え、いちご栽培に力を入れ始めたそうです。
いちごを栽培する上で「秋ノ宮いちご」のブランド化に成功し、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任したそうです。
菅さん自身も当時、実家のいちご栽培を手伝っていたそうで、現在の役職から菅さんにそんな時代があったなんて想像がつかないですね!
現実の厳しさを痛感!ダンボール工場での勤務

高校卒業後、菅さんは父親に「農業大学校」への進学を勧められていたそうですが、これを拒絶して上京することを決意しました。具体的な夢を持っていたわけではなく、「東京に行けば何かが変わる」と漠然とした期待感を胸に上京するに至ったそうです。
しかし現実は甘くなく、上京後はお金を稼ぐために、秋田での生活と特に変わらない日々を板橋のダンボール工場で過ごしていました。
2年間ダンボール工場に従事した後、当時私立大学で最も学費が安かったという法政大学に進学し、法学部政治学科で勉学に励み、その後は建電設備株式会社(現 ケーネス)に就職しました。
多くの政治家は、自身の家系に少なからず政治関係者がいますが、菅さんはこの時点では全く政治とは無縁だったんですね。その点で言えば菅さんの経歴は、他の政治家と比べて少し異例の経歴と言えるでしょう。
政界での経歴!秘書時代から官房長官になるまで
菅さんは26歳で政治家を志し、衆議院秘書→横浜市会議員→衆議院議員→総務大臣→官房長官、という流れで役職が移り変わっていきました。
11年間の秘書時代

菅さんは26歳の時に政治家を志すようになりました。政治家を目指したい旨を母校の法政大学就職課に相談したところ、法政大学出身の第57代衆議院議長の秘書づてに、小此木彦三郎衆議院議員の秘書の役職を紹介されました。
菅さんは以後1986年までの11年間、秘書という役職を勤め上げました。
秘書を11年間も勤め上げたのは凄いですね。きっと秘書時代で政治について多くのことを学ぶことができ、今後大臣や官房長官という役職を掴んでいくのに役立ったんだと思います。どんな職業でも下積み時期は大切ですね!
横浜市会議員に選出!「影の横浜市長」の異名を持っていた!

秘書を11年勤め上げた翌年の1987年、横浜市会議員選挙に西区から出馬し、見事初当選しました。その後2期にわたって会議員を務めました。
横浜市会議員の選出後、秘書時代に培った人脈を活かして政治を行なっていたことから、当時の市長から頻繁に人事案などの相談を受けていたそうです。このことから菅さんは「影の横浜市長」と呼ばれていたそうです!
まさに秘書時代の努力の賜物といった成果が出ていますね!どの職業でも人脈は重要だということが菅さんの経歴からもわかりますね。
衆議院議員に当選!総務大臣から現職の官房長官へ

1996年、衆議院議員総選挙に神奈川2区から自民党公認で出馬し、見事当選しました。その後、衆議院議員や副総務大臣を経験し、2006年の安倍内閣発足の際には総務大臣として起用され、初内閣入りを果たしました。
総務大臣として起用された理由は、2006年の総裁選で安倍さんを全面的に支持したことが理由だと考えられます。
さらに菅さんは、2012年の第2次安倍内閣が発足した際に現在の役職である「官房長官」に任命されました。
衆議院議員に選出されてから内閣入りを果たし、現職の官房長官に至るまでには安倍さんの力が大きく働いたと考えられます。実際菅さんも安倍さんのことを全面的に支持していたため、信頼関係によって官房長官の役職まで上り詰めたと言えるでしょう!人脈を広げるだけでなく、信頼を得ることも大切ですね!
ちなみに菅さんは2016年7月7日に官房長官の在職日数が「1290日」に達し、歴代1位となっています!(現在も記録更新中です!)

まとめ
今回は菅官房長官の経歴が凄いと話題になっていたことについて、実際の経歴を踏まえつつ考察しました。
菅さんの努力で人脈や信頼を得ることができた点は本当に尊敬すべき点だなと感じました。また昔はいちご栽培を手伝っていたり、ダンボール工場で働いていた過去があったのは驚きでした!
他にも菅さんについての記事を書いているので、興味がある方はぜひ読んでいってください!
記事を最後まで読んでいただきありがとうございます!また別の記事でお会いしましょう!
